GHQにさんざん煮え湯を飲まされた「日本国憲法」だったが…それでも"いいものはいい。素直に受け入れるべき"と言えた白洲次郎の胆力
そのときのエピソードがある。翻訳作業の最中のことである。『白洲次郎 占領を背負った男』から引用しよう。
「そもそも天皇がシンボルだというところからして日本語にしにくい。
『白洲さん、シンボルっていうのは何やねん?』
小畑が次郎に大阪弁で尋ねてきた。
『英国じゃイギリス国王は国民のシンボルということになってるから、それを持ってきたんだろう。でも日本語でどう言えばいいのかな……象徴とでも言えばいいのか……。そうだ、ここにある井上の英和辞典引いてみたら?』
"井上の英和辞典"とは、大正四年に井上十吉によって編まれた井上英和大辞典(至誠堂書店)のことである。次郎の言葉に従って小畑は辞書を引いてみた。
『やっぱり白洲さん、シンボルは象徴やね』
新憲法の"象徴"という言葉はこうしたやりとりで決まったのだ」
ここで、『白洲次郎 占領を背負った男』の著者、北康利は後の次郎の言葉を引用している。
「後日学識の高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく」(「吉田茂は泣いている」『諸君!』1969年10月号)
次郎は日本語版の作成が終わると、ファイナル・ドラフトを持って官邸に行き、その後、フラフラになって自宅に戻った。そして、そのままベッドで泥のように眠りに落ちた。次郎は眠りながらも民政局の奴らと論争をしていた。
「シャット・アップ(黙れ)」
「ゲッド・アウト(出て行け)」
うなされるほどの寝言を繰り返していたのだ。激闘を物語る逸話である。
もともと豪州で用意されていたマッカーサー草案
次郎は、人口に膾炙している日本国憲法が1週間でできたということに対して、秘話を紹介して真実を明らかにしている。引用しよう。