GHQにさんざん煮え湯を飲まされた「日本国憲法」だったが…それでも"いいものはいい。素直に受け入れるべき"と言えた白洲次郎の胆力

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だが、そこには、民政局のニューディーラーたちの理想が充分に反映され、それは、天皇を人質に取ってまで変えさせなかった、という真実が覆い隠されているのだ。

「戦争放棄」など、いいものはいい

『知れば知るほど泣ける白洲次郎』(宝島SUGOI文庫)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

ただし、次郎の憲法伝説はこれでは終わらない。彼は次のようにも言っている。

「新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかという形で残って、法律的には何というのか知らないが政治の機構として何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。

しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マクアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。

押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか」(「プリンシプルのない日本」『諸君!』1969年9月号)

あれだけ苦労させられ、煮え湯を飲まされた日本国憲法。しかし、いいものはいい、と言えるだけの胆力が次郎の真骨頂なのだ。

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