ふざけた狂歌名を持つヒットメーカー
「酒上不埒(さけのうえふらち)」
そんなふざけた狂歌名を名乗ったことから、酒の席ではだらしない姿を見せることもあったのかもしれない。それでもやるときはやる、そんなクリエーターだったのだろう。
一度でも大ヒットを出すだけでも難しいのに、二度も自身の作品で大ムーブメントを引き起こした恋川春町(こいかわ・はるまち)のことである。
武士でありながら、絵師や戯作者、またときには狂歌師の顔を持ったこの男は、江戸時代中期に花開いた町人文化を、どのように盛り上げたのだろうか。
恋川春町は延享元(1744)年に駿河で、紀伊田辺藩士・桑島九蔵の次男として生まれた。のちに盟友となる朋誠堂喜三二より9歳年下ということになる。
宝暦13(1763)年には、駿河小島(おじま)藩に出仕。同年、20歳のときに父方の伯父で、駿河小島藩士である倉橋忠蔵の養子に入り、本名が「倉橋格(いたる)」となった。


















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