大河主役「蔦屋重三郎」苦難を飛躍に変えるスゴさ 江戸のメディア王と呼ばれ名作を世に送り出す

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎
太秦映画村の吉原通り(写真:kouyunosa / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」で主役となる蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)については、初めて名前を耳にした人も多いことだろう。重三郎は20代前半で吉原大門前に書店を開業し、書籍の販売と出版をスタート。浮世絵師を巧みにプロデュースし、「江戸のメディア王」として名を馳せた。一体、どんな人物だったのか。江戸時代中期に花開いた町民文化とともに、この連載で解説を行っていきたい。

幕府から罰金刑が下された蔦屋重三郎

のちに「江戸のメディア王」と呼ばれる男は、頭を抱えたことだろう。

天明6(1786)年、自由な経済活動を推進した老中の田沼意次が失脚。やがて現れたのは、松平定信という頭がカッチコッチの全く融通が利かない老中だった。

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

白河の水はきれいすぎて、かえって魚も住みづらい。昔の濁っていた沼が恋しい――。松平定信による「寛政の改革」が行われると、その厳格さに庶民はかえって田沼時代を恋しがったという。

それも無理はない。定信は、賄賂が横行した商業主義政策を見直すべく、緊縮財政と風紀取り締まりによって、幕府の財政を立て直そうとした。定信は祖父にあたる8代将軍・徳川吉宗を見習うべく、吉宗と同じ方針をとったのである。

倹約を推奨しながら、農村の復興を図るべく、都市で働く者を農村に帰す「旧里帰農令」を発したうえで、飢饉対策として米などを貯蓄する「囲い米」の実施などを行った。

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