「松平定信の"寛政の改革"を風刺」 大河「べらぼう」主役の《蔦屋重三郎》が刊行した"黄表紙"が売れに売れた背景

江戸で草双紙が大流行
長編小説『南総里見八犬伝』で知られる江戸時代後期の戯作者・滝沢馬琴(1767〜1848)にとって、蔦屋重三郎は、自らを成功に導いてくれた恩人でした。
その馬琴は、天明(1781〜1789年)・寛政(1789〜1801)年間に、草双紙(挿絵主体の読み物)が大流行したと述べています。
地本問屋(地本を出版する本屋。地本とは江戸で刊行された本のこと。草双紙などを刊行した)である鶴屋と蔦屋が、当時、草双紙を刊行しており、前年の冬に刊行すると、翌年の春正月下旬までに「二冊物・三冊物、一組」で、1万部も売れていたそうです。
その中でも、ヒット作は「一万二・三千部」にもなったというから、すごいものですね。
さらには、時宜にかなうもの(本)があれば、それを抜き出して、袋入りにしたものを売ったとも言いますから、商魂逞しさがうかがえます。それも「三・四千部」は売れたとのこと。
ちなみに馬琴の話の中に出てくる鶴屋とは、江戸時代初期に出店した老舗地本問屋。その老舗地本問屋と、江戸時代後期になって創業した蔦屋(重三郎)が、天明・寛政年間には、競い合うまでになっていたことがわかります。
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