「松平定信の"寛政の改革"を風刺」 大河「べらぼう」主役の《蔦屋重三郎》が刊行した"黄表紙"が売れに売れた背景
書物が飛ぶように売れたと聞くと、平穏な社会を想像することでしょう。確かに江戸時代は平和な社会ではあったのですが、浅間山が大噴火(天明3年=1783年)したり、それに伴って飢饉が深刻化したり(天明の大飢饉)、江戸や諸国で打ちこわし(天明7年=1787年)が発生したりと、災害や暴動が多発した時代だったのです。
政治的にも激動の時代であり、若年寄・田沼意知(田沼意次の嫡男)が佐野政言に刺殺されたり(天明4年=1784年)、田沼意次が老中を辞めさせられたり(天明6年=1786年)、さらには松平定信が老中首座に就任(天明7年)したりと、さまざまな出来事が起こりました。
寛政の改革を皮肉った「鸚鵡」
刊行され、大いに売れた書物も、そうした社会的出来事と無縁ではありませんでした。
例えば、寛政元年(1789)に蔦屋から刊行された『鸚鵡返文武二道』(以下、『鸚鵡』と略記)という黄表紙(草双紙の一種。表紙が黄色であったことからそう名付けられた)もその1つです。
作者はかつて『金々先生栄花夢』(1775年刊行。黄表紙)で人気を博した戯作者・恋川春町です。
『鸚鵡』は、老中・松平定信が遂行する寛政の改革(倹約、備荒貯蓄の奨励、文武奨励などの政策を遂行したが、世人の不平を招き頓挫)を批判したものでした。同書も、約1万5000部は売れたというからすごいものです。

その『鸚鵡』より、もっと売れたと思われるのが、唐来参和が著した黄表紙『天下一面鏡梅鉢』(以下、『天下』と略記)。同書も『鸚鵡』と同じく、蔦屋から寛政元年に刊行されます。
『天下』の売れ様はすさまじく、これまた馬琴の証言によると、同書を購入するために、人々が「門前は市をなし」という状態。売れ行きが好調すぎて、製本が間に合わず、摺本(製本前の印刷しあがった紙)のまま車に積み込み、持って行こうとすると、道端でそれを買い取ろうと、人々が争う始末だったようです。
昭和22年(1947)、哲学者・西田幾多郎の最初の全集(『西田幾多郎全集』岩波書店)が刊行された際、購入するために、3日前から行列ができ、刊行前日には200人余りの人々が、岩波書店周辺で徹夜したと言われますが、それを想起させる話です。
それはともかく『天下』もまた寛政の改革を風刺した書籍でした。著者の参和は、延享元年(1744)生まれ。元来は身分ある高家の家臣だったようですが、訳あって、町人となり、江戸本所の遊女屋・和泉屋の婿養子となったという波瀾万丈、異色の経歴を持つ戯作者です。
蔦屋は洒落本・黄表紙などを刊行してきましたが、ついに『天下』でヒットを飛ばしたのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら