森永卓郎さん(享年67)の遺言「住宅ローンは、銀行には《理想の巨大集金システム》で、《経済成長なき、ひ弱な日本》を作った原因でもある」

✎ 1〜 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 11
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
さらば!グローバル資本主義――「東京一極集中経済」からの決別
庶民にマイホームブームを煽って1970年代後半に生まれたのが「住宅ローン」です(写真:Ushico/PIXTA)
余命宣告を受けてから、「忖度なしの活動」を続け、今年1月28日に享年67で逝去した森永卓郎氏。
氏の最期の書き下ろし原稿と、亡くなる1カ月前に行ったインタビューによる“資本主義の闇”に切り込んだ『さらば!グローバル資本主義――「東京一極集中経済」からの決別』が刊行された。同書は発売前に大増刷が決まるなど、早くも話題を呼んでいる。
森永氏が最期に到達した「日本人が生き抜くための“答え”」とは――。
今回は、新刊と未発表原稿を再編集したうえで、「戦後に生まれた《住宅ローン》が《経済成長なき、ひ弱な日本》をつくった原因」について森永卓郎さんの解説を紹介する。

戦後に生まれた「住宅ローン」という大ヒット商品

第2次世界大戦後、地方の「人」を東京に集める「集団就職列車」の運行が長い間続き、これが「人口の東京一極集中」の基盤のひとつとなりました。

さらば!グローバル資本主義: 「東京一極集中経済」からの決別
『さらば!グローバル資本主義: 「東京一極集中経済」からの決別』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

戦後、全国で420万戸と言われた「住宅不足」はなかなか解消されずに、昭和30年の時点でも270万戸の住宅が不足していたといわれます。

しかも大都市部では、集団就職で毎年約60万人がやってきて結婚して家庭を持つのですから、ますます住宅は不足していきます。

そこで住宅公団は、勤労者向けの住宅として、公営住宅層と公庫融資対象の持ち家層の中間の層を対象とした家を建てました。

この庶民にマイホームブームを煽って1970年代後半に生まれたのが「住宅ローン」です。

住宅ローンらしきものは1896年に安田財閥の創始者・安田善次郎氏によって開始されていましたが、日本の民間金融機関(銀行、信組、信用金庫)では、個人向けのサービスは貯金業務しかありませんでした

次ページ国が設立した「住宅ローン」とは?
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事