「ある寒い朝、下級の奉公人に…」異例の出世を遂げた田沼意次、その理由がわかる逸話と現代人にも通じる遺訓7カ条

田沼意次の逸話
田沼意次は、後に9代将軍となる徳川家重の小姓としてキャリアをスタートさせました。家重は臨終に際し、子の家治(10代将軍となる)に遺言しますが、それは意次を重用せよということでした。なぜか。家重曰く、意次は「またうとのもの(者)」だからというのです。聞き慣れない言葉でしょうが「またうと」(またうど)とは「正直者・律儀者」という意味です。
ちなみに「またうと」は「全人」(またきひと)の略語であり、本来は悪事をせず、欠けたところがない完璧な人との意味合いでした。自らの側近く仕えた意次を家重は正直者と見做していたのです。
もちろんこれは家重の主観が入っておりますが、10代将軍となった子の家治も意次を重用していますので、家治もまた意次を正直者と認識した可能性もあるでしょう。意次は、下っ端の家来の者にまで親しく声をかけ、権勢を誇るようなことはなかったと言いますので、ここからもその人柄というものがわかります。
家重に側近く仕えた大岡忠光も「よく人にへり下りしかば、人も又にくみうらまず」(『徳川実紀』)、へりくだった態度で他人に接したので人から恨みを買うことはなかったと評されています。
温厚な性格で、威張らないというのは、意次の時代の政治家の特徴とも言われています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら