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皇居・江戸城 伏見櫓(写真: civi / PIXTA)
10代将軍の徳川家治から政務を任された田沼意次は老中として、幕府の実権を掌握。のちに「田沼時代」と呼ばれるほど権勢を振るう。幼少期から聡明でリーダーとして将来を期待されていた将軍の家治は、なぜ意次頼みとなり、政務を怠るようになったのか。一方、意次は全盛期のなかで、次期将軍を選ぶほどの影響力を持つが、そこには大きな誤算が待ち受けていた。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第8回は、大河ドラマ「べらぼう」をきっかけに注目されている家治と意次について解説する。
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幼少期は祖父・吉宗も期待する逸材だった
10代将軍・徳川家治の治世下で、田沼意次が側用人・老中として幕政の実権を握った時代を「田沼時代」と呼ぶ。意次を見いだしたのは家治の父で9代将軍の家重であり、息子の家治に「意次を重用するように」と遺言を残したとも言われている。
一説には言語障害があったとも言われる家重にとっては「いかに信頼できる側近を置けるか」が、自身の政治生命の鍵を握っていた。その側近こそが、自分の意図をくみとってくれる大岡忠光であり、幼少期から身の回りの世話をしてくれた田沼意次だった。家重の父で8代将軍の吉宗が意次の父・意行を重用したため、その良好な関係が子の代にも引き継がれ、家重はさらに自分の息子も支えてもらおうと、前述した遺言を残したのだろう。
だが、そんな経緯があったとはいえ、家治がここまで意次に政務を任せるとは、当初は誰も想定していなかったのではないだろうか。
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