吉宗の死去などで婚礼が延期されるなか、2人としては、晴れて正式に夫婦となる日が待ち遠しかったのではないだろうか。仲睦まじい夫婦で、結婚してすぐに長女の千代姫が誕生している。
だが、千代姫は夭折してしまう。倫子が再び家治の子を懐妊したのは、それから4年後のこと。世継ぎを期待されるなかで生まれたのは、またもや女の子だった。
周囲は内心がっかりしたに違いないが、2人にとってはかけがえのない娘だ。亡くなった千代の分まで長生きしてほしい……そんな願いを込めたのだろう。次女は「万寿姫」と名づけられた。
しかし、世継ぎを求める声を無視することは難しかったようだ。万寿姫が生まれてから4日後、家治に側室があてがわれることとなった。
正妻と娘が相次いで亡くなる
倫子との婚礼の式から7年目にして、家治が初めて迎えた側室は、御家人・津田宇右衛門信成の娘である「お知保の方」だ。家重の治世に大奥に上がったお知保の方は、将軍、もしくは御台所の身辺を世話する御中臈(おちゅうろう)にまで昇進するとそのまま大奥に残ったという。
宝暦12(1762)年、家治とお知保の方との間に竹千代が誕生する。のちの家基である。
それでも家治の倫子への愛情は失われることがなかったばかりか、かえって気持ちが強くなったと思われる。家治は御台所の倫子に家基を預けて養育させている。家治と倫子は、万寿姫と竹千代と、2人の子をともに可愛がったという。
ところが、そんな家庭の幸せはやがて途絶えることとなる。最愛の倫子が35歳で死去。しかも、そのあとを追うように、万寿姫まで13歳で亡くなってしまった。
最愛の妻と子を亡くした家治だったが、跡継ぎの家基はこのときまだ10歳。悲しんでばかりはいられなかった。家治と同じく大きく状況が変わったのは、お知保の方である。それまでは生まれたわが子を抱くことさえできなかった……とも言われるが、正妻亡き今、お知保の方は「御部屋様」として、世子生母の扱いを受けることになった。
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