江戸を騒がせた「鳥山瀬川事件」とは?
吉原随一の花魁として知られる「五代目・瀬川」を、鳥山検校が大金をはたいて身請けしたらしい――。
安永4(1775)年、そんなニュースが江戸中を駆け巡った。身請けとは、遊女の身の代金や前借金などを代わって払い、勤めから身を引かせることを言う。
鳥山検校は1400両も払って、五代目・瀬川を身請けしたという。現在の紙幣価値に換算して約1億4000万円というから驚きである。「鳥山瀬川事件」(とりやませがわじけん)と呼ばれて騒ぎになったのも無理はない。
なぜ、鳥山検校はそれほど財を築くことができたのだろうか。その背景には、「当道座」(とうどうざ)という男性の視覚障がい者を保護する組織の存在があった。


















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