ヘレン・ケラーも憧れた検校「塙保己一」のスゴさ 蔦屋重三郎と同時代に活躍、どんな人物像か?

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大河ドラマ べらぼう 検校
塙保己一ゆかりの御霊稲荷神社(埼玉県本庄市)(写真: massann3725 / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物にスポットライトがあたっている。前回放送では、市原隼人が演じる鳥山検校が、吉原随一の花魁「五代目・瀬川」を金の力でものにして、その強欲ぶりを露わにした。だが、盲人の最高位である「検校」を与えられた人物のなかには、後世に影響を与えた「偉人」と呼ぶべき人物もいる。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第9回は、蔦屋重三郎と同時代に活躍した、検校の塙保己一について解説する。
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吉原随一の花魁に大金払った鳥山検校

江戸時代は「当道座」(とうどうざ)という男性の視覚障がい者を保護する組織が、幕府に公認されていた。検校、別当、勾当、座頭の4つの位階に、細かくは73の段階に分けられており、盲官(盲人の役職)の最高位である「検校」となれば、社会的地位も高かった。将軍への拝謁も許されていたほどである。

当道座は、もともと語り物音楽である「平曲」を奏した琵琶法師たちが形成し始めたものだったが、江戸時代にもなると平曲は廃れていく。三味線などの芸能や鍼灸・按摩などが、視覚障がい者の独占事業として保護されるようになった。

では、芸能や鍼灸・按摩に不得手な視覚障がい者は、どうしたのだろうか。

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