武士の踏み倒しに対抗!武家屋敷で大声を出し、座り込むことも… 「座頭貸し」の"奇抜な取り立て"

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 検校
皇居の富士見櫓(写真:DREAMNIKON / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物にスポットライトがあたっている。戯作家として活躍した朋誠堂喜三二(ほうせいどう・きさんじ)もその一人だ。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第12回は、江戸時代に芸能や鍼灸、そして金融業に携わった視覚障害者たちの官位について解説する。
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「座頭」になるべく京に上った視覚障害者たち

京に上り、官位をとって昇進したい――。

数人で連れだって杖をつきながら、各地の視覚障害者たちが懸命に京を目指したのは、そんな人生の目標のためだった。大河ドラマ「べらぼう」でも注目される「検校」をはじめとした視覚障害者の官位について、解説していこう。

江戸時代には「当道座」(とうどうざ)という男性の視覚障害者を保護する組織が、幕府に公認されていた。一方で、女性の視覚障害者は、三味線を持って全国を流す「瞽女(ごぜ)」の組織に属した。

当道座の始まりは、室町時代に足利尊氏の従弟で琵琶法師の明石覚一(あかし・かくいち)が室町幕府の庇護のもと、自分の屋敷で当道座を設立。以後、戦国時代を経て、江戸幕府が成立してからも、初代将軍の徳川家康が当道座の式目を承認している。

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