鳥山検校は、吉原の花魁の瀬川を身請けするために1400両と、現在の紙幣価値に換算して約1億4000万円も投じて、江戸で大きな話題となった。
検校になるだけでも大金が必要なのに、瀬川を手に入れるためにその2倍の金額をつぎこんだと思うと、改めてその財力に唸らされる。
派手に遊んで幕府に目をつけられた鳥山検校
だが、前述したように、座頭貸しの厳しい取り立てが問題視されて、鳥山検校の運命は一変。全財産を没収されたうえで、江戸から追放されるという憂き目に遭っている。瀬川を身請けしてから3年後のことだった。
鳥山検校はやや目立ちすぎてしまったが、武士による滞納が横行していたことを思うと、強硬な手段に出た金貸し側にも、それなりの言い分があったのではないだろうか。
【参考文献】
谷合侑「中世・近世の盲人像 第5回 江戸時代前半期における盲人の生活と職業」(視覚障害者支援総合センター編「視覚障害 : その研究と情報」67巻)
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
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