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タイムリミットが刻々と迫る中、ノウハウも物資もないまま長銀危機に立ち向かった「隠密部隊」 銀行行政が変わった日②

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長銀の大野木克信頭取
記者会見する長銀の大野木克信頭取(1998年6月26日)(写真:共同)
過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

1998年6月。月刊誌と英経済紙の報道を機に、日本長期信用銀行の株価が急落した。大蔵省から金融の監督・検査機能が切り離され新設の金融監督庁に移行する、「行政の空白期」を狙った投機筋によるアタックだった。

大蔵省銀行局はすぐさま長銀の資金担当者を呼び、手元資金を厚めにするよう助言するが、長銀側は「国債が1兆円あるから大丈夫です」と言い、平然としている。

「何を言っている。1兆円では1カ月も持たない。貸出債権を流動化したりして、とにかく資金を用意しておかなければダメだ」

ようやく危機に気づいた頭取の大野木克信は、銀行局と連絡を取りつつ、合併に向けて走り出す。

関係者によると、最初に接触したのは、同じ長信銀の日本興業銀行だった。銀行局幹部は「もし長銀が倒れたら、次はおたくが狙われるかもしれませんよ」と興銀首脳への説得を試みた。この提案を受けて、興銀内では議論になったが、体力的に応じられない、共倒れになりかねないとの結論に達した。

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