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「頓死」を嘆く蔵相、不安に声震えた首相を乗り越え、新たな金融行政を築いていく、「巡礼父祖」たちの決意と反骨 銀行行政が変わった日⑦

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柳澤伯夫金融再生担当相
日債銀の一時国有化を発表する柳澤伯夫金融再生担当相(撮影:梅谷秀司)
過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

1998年10月22日。日本長期信用銀行は深夜の臨時取締役会で、金融監督庁の方針に逆らうかのように金融再生法第37条に基づく「破綻認定を伴わない特別公的管理」の申請を決議した。組織存続へ一縷(いちる)の望みを託そうとした、長銀の最後の意地だった。

翌朝8時半、長銀は申請書類を提出したが、それから3時間後、監督庁は第36条の「破綻認定に基づく特別公的管理」の開始決定を淡々と通告する。戦後の企業金融を支えてきた名門銀行は破綻認定され、史上初めて一時国有化されることが決まった。

1年半後、長銀は競争入札で米リップルウッド社などからなる投資組合に10億円で売却され、「新生銀行」となる。その破格の安値に加えて、引き継いだ債権の価値が一定程度下がったときは国に買い取りを請求できる「瑕疵(かし)担保条項」が認められたことに世論の批判が集中した。そしてこの条項の行使により、そごうや第一ホテルなどが後に倒産に追い込まれた。

長銀に続き、どうやら日本債券信用銀行も債務超過らしい──。

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