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「存亡は市場の判断に委ねる」金融監督庁の発足と同時に発生した日本長期信用銀行の経営危機 銀行行政が変わった日①

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長銀・須田正巳副頭取
風評を否定する長銀・須田正巳副頭取(1998年6月17日)(写真:共同)
過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

2025年7月1日、金融庁は創設25周年の節目を迎える。国の行政機関としては比較的新しい組織だが、実は01年の中央省庁再編で発足した財務省や総務省、国土交通省などよりも“1年先輩”に当たる。

金融庁の前身は「金融監督庁」。旧大蔵省から銀行局や証券局の検査・監督部門が移管され、1998年6月に発足した。そしてまさにそのとき、日本長期信用銀行(長銀)の経営危機という途方もない試練に直面した。

今回から7回にわたり、長銀危機を再検証しつつ、銀行行政が劇的に変わった分岐点を振り返る。

98年春、海外勢の「日本売り」が勢いを増していた。3月に1万7000円あった日経平均株価は1カ月で1500円下げ、円相場も下落を始めた。前年11月の北海道拓殖銀行と山一証券の相次ぐ経営破綻、さらに大蔵省・日銀をめぐる接待汚職事件で、日本の金融行政に対する信頼は地に落ちていた。

5月4日、在ニューヨーク総領事公邸で開かれた晩餐会で、訪米中の自民党幹事長、加藤紘一とニューヨーク連邦準備銀行総裁のウィリアム・マクドナーが同席した。周りを気にしながら、マクドナーは小声で言った。

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