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特命チームの秘策は両行への連続資本注入だった。長銀救済の「ウルトラC」を宮澤蔵相は沈黙の末に決断 銀行行政が変わった日③

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小渕恵三首相と宮澤喜一元首相
小渕恵三首相(右)は蔵相に宮澤喜一元首相を選んだ(写真:共同)
過去の金融政策・経済政策の検証に取り組む筆者が、当時の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様に迫る。【月曜日更新】

1998年6月。住友信託銀行と、危機に直面した日本長期信用銀行との合併構想は、なかなか前に進まなかった。住信社長の高橋温は意欲的だったが、住友銀行との関係や、長銀の財務内容を心配する複数の役員が反対に回り、内部調整に手間取っていた。

6月25日、長銀の株価はついに額面の50円に下落する。経営不安説が連日のように報道され、金融債の解約を求める客が全国の支店に殺到した。蔵相の松永光には、事務次官の田波耕治から「長銀が市場で資金を取れなくなっている」との緊急報告が入っていた。

翌日、住信は株主総会後に、臨時経営会議を招集する。ここでも異論が出され、正式な合併協議入りで意見集約されたのは午後3時すぎだった。その夜、交渉開始が正式に発表されたが、通常、トップ2人が並んで行われるはずの記者会見は別々に開かれた。

詰めかけた記者を前に、高橋は淡々と説明する。「存続会社、商号とも住友信託銀行。不良債権は少なくともうちは引き受けません」。

先行き不安を抱かせる、冷ややかな会見だった。

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