あまりにハードルが高すぎるように思うが、意外にも正徳年間(1711年~1716年)になると、検校の数は増え始める。
それまで検校になる人数は年間でせいぜい10人くらいだったが、正徳2(1712)年には74人も新たに検校の官位が与えられている。その翌年も26人が新たに検校となり、享保元(1716)年には30人が検校になった。
そんな「検校大量排出時代」の背景にあったのが「座頭貸し」である。
「座頭金」を踏み倒そうとする武士たち
当道座は視覚障害者の官位をつかさどりながら、三味線などの芸能や鍼灸・按摩などを、視覚障害者の独占事業として保護した。
さらに「官金」(かんきん)と呼ばれる金融業も認められたため、元禄の頃からは「座頭貸し」と呼ばれる、視覚障害者による金貸しが盛んに行われるようになった。
視覚障害者が貸し付けた金銭は「座頭金(ざとうがね)」と呼ばれ、利息が非常に高かった。よほど儲かったのだろう。検校が増えたのは、まさに 「座頭貸し」が広まった時期と重なる。
座頭金は取り立てが厳しいことでも有名だったが、借りた側の態度にも問題があったらしい。「座頭貸し」は主に旗本などの武士が対象だったが、武士が借金取りを槍で追い返すようなこともあったという。
踏み倒しも横行するなかで、何とか借金を返してもらおうと、借金取りが武家屋敷で大声を出し、座り込むなどをして、武士のメンツをつぶすことで、返済に応じてもらおうとしたりもしている。
普通の方法ではとても回収できなかったがゆえの強硬手段だったが、幕府は武士の救済に動き出す。安永7(1778)年には、高利貸しを一斉に取り締まっている。このときに処分された検校の一人が、大河ドラマ「べらぼう」でクローズアップされた鳥山検校である。

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