当道座では、最高位の「検校」から順に「別当(べっとう)」「勾当(こうとう)」「座頭(ざとう)」の4つの位階に分かれていたが、さらに16階73刻に細分化されており、座頭になるまでにもステップがあった。
当道座に入ると、地元の師匠について髪を剃って「初心(しょしん)」という官位からスタートする。修業を積んで幕府に納めるためのお金が貯まったら、京都に上って視覚障害者を管理および監督する職屋敷を目指す。
職屋敷に官金を収めれば、告文状(免状)を受け取って官位を得ることになる。出世するためにやるべきことはいたってシンプルだが、とにかくお金がかかった。最上位の「検校」まで上り詰めるのは、並大抵のことではなかった。
検校になるためには高額な費用がかかった
初心の者は4両を支払えれば、最初の位「打掛(うちかけ)」を得ることができた。
江戸時代の1両は、現在の紙幣価値でいくらくらいなのか。そば代、米代、人件費……など何の値段で比較するかで異なってくるが、1両は5万~13万円相当となる。約10万円と考えると、最初の位を得るだけでも約40万円が必要だった。
支払う額次第では、官位を飛び越えて昇進することができた。初心の者でも、11両4分と約110万円を納めれば、「打掛」をスキップして、次の位である「衆分(しゅうぶん)」になることができた。打掛を経ずに衆分になることを「粒入り」と呼ぶ。
衆分になって初めて、座入りが認められて「座頭」と呼ばれる。初心や打掛は、とりあえず座頭になることを目標に、修業に励んで金銭を稼いだことだろう。
座頭には4つの区分があり、一度~三度までが衆分で、四度の「在名(ざいみょう)」が座頭の最高位となる。在名になって初めて苗字をつけることが許されたが、130両と約1300万円もの大金が必要となった。
座頭の最高位である「在名」からさらに官位が上がると、「勾当」となる。勾当には「一度」から「八度」までの8つの区分があった。
その次の「別当」になると「権別当」「正別当」「惣別当(︎総別当)」の3つの区分があり、そこからさらに昇格して、ようやく最上位の「検校」に上がることになる。
検校になるまでに支払う官金は、しめて719両。つまり、約7200万円を幕府に納めなければならなかったということになる。
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