まだまだ駆け出しの蔦屋重三郎、なぜ売れっ子と仕事ができた?蔦重の文化人との交流の背景に迫る

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎
皇居外苑・伏見櫓(写真: まちゃー / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物にスポットライトがあたっている。戯作家として活躍した朋誠堂喜三二(ほうせいどう・きさんじ)もその一人だ。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第11回は、版元の経営者としてまだ駆け出しの蔦重が、なぜ売れっ子の喜三二と多くの仕事ができたのか。その背景について解説する。
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新ジャンルでベストセラーを飛ばした鱗形屋孫兵衛

大河ドラマ「べらぼう」では、主人公・蔦屋重三郎の商売敵として、やや引き立て役となっている鱗形屋孫兵衛(うろこがたや・まごべえ)だが、実際はどうだったのか。

鱗形屋孫兵衛は、明暦年間(1655~1658年)頃に江戸の大伝馬町三丁目で創業した地本問屋・鱗形屋の3代目にあたる。現在でいうところの出版社の社長だ。

「鶴鱗堂」(かくりんどう)または「鶴林堂」と号しながら、当初は上方の浮世草子を江戸で売っていた。やがて浄瑠璃や菱川師宣の絵本などを扱うようになり、江戸有数の地本問屋として、知られるようになる。

鱗形屋孫兵衛の地位を盤石にした出版物が『吉原細見』だ。『吉原細見』は、遊女の源氏名や位付け、揚代などの情報が掲載された吉原のガイド本である。

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