
朋誠堂喜三二と恋川春町に続いて処罰された2人
NHK大河ドラマ「べらぼう」で、老中首座の松平定信が「出版規制」に乗り出し、主人公の蔦屋重三郎に立ちはだかっている。ただでさえ、厳しい倹約が求められるなかで、読み物を嗜む楽しみさえ奪われるとなれば、人々のフラストレーションも溜まるばかりだ。
実際のところ、定信はなぜ出版規制に踏み切ったのだろうか。
天明8(1788)年、蔦重は朋誠堂喜三二作の『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくとおし)を発刊。翌年の寛政元(1789)年には、恋川春町の『鸚鵡返文武二道』を世に送り出すと、ともに大ヒットとなった。
だが、いずれも松平定信の政策を茶化した内容だったために、問題視されることに。その後、喜三二は主君の命によって執筆活動を中止せざるをえなくなり、春町は幕府の呼び出しに応じず、その数日後に死去している。
2人以外にも処罰された戯作者がいる。上から読んでも下から読んでも同じの「回文」をタイトルにして評判を呼んだ『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』。作者の唐来三和(とうらい さんな)は黄表紙『天下一面鏡梅鉢(てんかいちめんかがみのうめばち)』を発表している。
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