その結果、京伝は手鎖50日、蔦重は財産の半分を没収、という処罰を受けることとなった。事前にチェックすべき立場にあった「行事」の2人にも、商売取り上げの上、所払いを命じられ、3冊とも絶版ということになった。
かつて行われた幕府の言論統制
その後の京伝は「深く恐れて、是より謹慎第一の人となりけり」と、弟の山東京山が『山東京伝一代記』で書いているようにすっかり萎縮してしまったようだ。
先駆けて出版規制を行った徳川吉宗の息子・家重の代では、講釈師の馬場文耕(ばば・ぶんこう)が宝暦8(1758)年に著した実録本『森の雫』が問題視された。郡上藩で起きた一揆を美談にしているとし、文耕は江戸市中引き回しの上に、打ち首獄門にされている。
かつて行われた幕府の言論統制を踏まえれば、定信は「まだまだ自分は手ぬるい」ととらえていたのかもしれない。
【参考文献】
山東京山著「山東京伝一代記」『続燕石十種 第2巻』(中央公論社)
松平定信著、松平定光著『宇下人言・修行録』(岩波文庫)
藤田覚著『松平定信 政治改革に挑んだ老中』(中公新書)
高澤憲治著『松平定信』(吉川弘文館)
安藤精一他著『徳川吉宗のすべて』(新人物往来社)
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