
策略家の一橋治済も甘くみていた「定信のマジメさ」
老中になってすぐに老中首座に抜擢された松平定信。大河ドラマ「べらぼう」では、マジメすぎるがゆえに周囲から孤立していく様子が描かれている。
なにしろ、松平定信は8代将軍の徳川吉宗の孫にあたり、幼少期から聡明で将軍候補とも目された人物だ。田沼意次の陰謀により(将軍への意見書の記述から少なくとも本人はそう考えている)、白河藩に養子に出されたことで将軍にこそなれなかったが、こうして老中首座として実権を握る日がついに訪れたのだ。
「意次憎し」という感情は決して、個人的な恨みだけではないのだ……自分にそう言い聞かせたかったこともあるのだろう。田沼政治がもたらした「金儲け主義」こそが世を乱したと、民には倹約を訴えて、とりわけ武士には武術と学問を磨けと、呼びかけることになった。「文武奨励策」と呼ばれるもので、定信が最もこだわった改革の一つだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら