痛烈批判を浴びていたドジャース佐々木朗希が紆余曲折の果てに「復活」するまで

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(写真:MediaNews Group/Pasadena Star-News via Getty Images)

ロサンゼルス・ドジャースの佐々木朗希にとって2025年は、長い長い1年になっているはずだ。輝かしいドジャースにあって、彼ほど浮き沈みの大きいシーズンを送った選手は少なかった。

その圧倒的な能力、ポテンシャルが、佐々木朗希の人生を翻弄してきたと言ってよい。

高校生の球速として大谷翔平の記録を上回っていた

彼が最初に注目されたのは、岩手県立大船渡高校3年の2019年4月のことだ。高校日本代表候補の合宿で投げたフォーシームは、プロ野球スカウトのスピードガンで163km/hを計測した。非公式ながら、高校生の球速としては、大谷翔平が記録した160km/hを上回っていた。

一躍注目の投手となるも、彼はこの直後に、大船渡高の國保陽平監督とともに、スポーツドクターの診断を受けた。ドクターは「佐々木君は、手足の骨の骨端線が十分に閉じていません。まだ骨が柔らかいから、無理をさせると大きな故障につながりかねない。登板過多にならないようにしてください」とアドバイスした。

この年の岩手県選手権大会で大船渡は6連勝で決勝に進出した。しかしこの6試合、すべて佐々木が投げたのではなく、他の投手の継投も含め、過度の負担がないように配慮していた。

しかし7月25日の決勝の相手は、大谷翔平の母校、花巻東高。その時点で夏の甲子園7回出場を誇る県下一の強豪だった。

佐々木朗希にしか抑えることができないと思われたが、國保監督は同じ3年生の柴田貴広を先発させ12-2で大敗した。

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