痛烈批判を浴びていたドジャース佐々木朗希が紆余曲折の果てに「復活」するまで

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大船渡高は、1984年春夏の甲子園に出場しただけ。地元は35年ぶりの甲子園出場の期待に沸いたが、エースを温存しての敗退に、批判の声が殺到した。

「たった一人の投手のために、選手たちの甲子園の夢を潰すのか」とワイドショーで野球評論家も批判した。2021年夏の大会を最後に國保監督は退任した。

佐々木朗希が「令和の怪物」と呼ばれるようになるまで

2019年のドラフトで、佐々木はドラフトの目玉となり、日本ハム、ロッテ、楽天、西武の競合の末にロッテへの入団が決まる。

千葉ロッテマリーンズの吉井理人投手コーチ(のち監督)は、筑波大大学院で川村卓准教授(現教授)の教えを受けている。佐々木の恩師の國保陽平監督も筑波大で川村准教授門下、いわば同門であり、佐々木の処遇を考えれば理想的な球団に入ったと言える。

2020年春季キャンプ(沖縄県石垣市)での吉井コーチ(当時)と佐々木(写真:筆者撮影)

ロッテの井口資仁監督は、吉井コーチに佐々木の育成を一任。吉井コーチは1年目の2020年は、佐々木を二軍戦にも出場させず、一軍に帯同させて直接佐々木を指導した。

2年目の2021年、満を持して一軍の公式戦に登板した佐々木朗希は3勝2敗、63.1回を投げ防御率2.27を記録。100球以上を投げたのは1試合だけ。

そして翌2022年、衝撃の大記録を突如樹立する。

4月10日のオリックス戦

9回0被安打0被本塁打0与四球19奪三振、自責点0

完全試合を達成した。球数105球、史上16人目、1994年の巨人槇原寛己以来28年ぶり。20歳での達成は史上最年少。19奪三振はNPBタイ記録、13者連続三振はNPB記録。

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