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看板を降ろした名門「NTTコム」で、 国産クラウドはなぜ外資に敗れたのか。グループ大再編の裏側にいた影の主役が映すNTTの難題

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1999年に設立された「NTTコミュニケーションズ(コム)」は、この7月で社名が「NTTドコモビジネス」へと変わった(写真:時事)

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「今振り返ると、コムは次世代のプラットフォームを生み出す役割を果たすことができずに、“失敗”として役割を終えたように感じている。名前まで消えてしまったことを寂しがっている関係者は多い」

7月に刷新されたNTTグループ各社の社名や企業ブランド。持ち株会社の正式名称「日本電信電話」が「NTT」に変更されたのは大方の予想どおりだった。が、業界で驚きをもって受け止められたのは、「NTTコミュニケーションズ(コム)」が「NTTドコモビジネス」へと社名を変更したことだった。

長距離・国際通信を担う会社として始まったコムは、2022年にNTTドコモの完全子会社になり、ドコモの法人向け事業が集約される形で事業再編が進められた。ドコモがカバーしてきた地方の中堅・中小企業向けにビジネスを展開することになったが、もともと顧客が都市部の大企業中心だったコムの認知度は地方では低かった。このため、社名変更で訴求力の向上を狙った形だが、「ドコモの法人向け事業」との位置づけが強くなった今回の社名変更に対し、あるコムOBは冒頭のように話す。

規制のないコムはNTTの「挑戦者」だった

コムが誕生したのは、NTTが分割された26年前にさかのぼる。公社を起源とし、1985年の民営化後も国内通信事業で独占的地位を有していたNTTは、その後の規制強化の流れで分割が進み、1999年に持ち株会社、地域通信のNTT東日本とNTT西日本、長距離・国際通信のコムの4社に分割された。

総務省幹部は「当時はアメリカの巨大ITもなく、競争原理を働かせるために、強すぎたNTTを切り刻んだ」と説明する。その際にNTTの公共性や公正競争の観点から、NTT法で縛られた持ち株会社や東西に対して、コムは規制がかからない「自由な会社」(総務省幹部)になったのが特徴だ。

分割に携わった総務省OBは、「当時の橋本(龍太郎)内閣が国際競争力の観点から『NTTをどんどん海外に出してやれ』と言ったので、コムが海外をやれるようにした」と振り返る。分割されたNTTにとっては、規制の桎梏(しっこく)がなく、NTTの未来をつくるグローバルビジネスに挑戦する役割を期待されたのがコムだったといえる。このため「分割のタイミングでは、コムにNTTの優秀なエリート人材が割り当てられた」(コムOB)。NTTの前社長を務めた澤田純会長が代表的なコムの出身者として知られる。

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