痛烈批判を浴びていたドジャース佐々木朗希が紆余曲折の果てに「復活」するまで

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また遅れて合流した大谷翔平のデータを活用したトレーニング、試合に向かう姿勢には大きな影響を受けた。

WBCの記録映画『憧れを超えた侍たち 世界一への記録』では、試合で打ち込まれベンチで涙する佐々木の姿がとらえられたが、佐々木はこのときから「世界」「MLB」を強く意識したはずだ。

この年のオフ、佐々木は契約更改を保留する。一部メディアは佐々木がポスティングシステムを使ってMLB移籍を球団に求めていると報じた。さらに『週刊文春』は佐々木朗希がプロ野球選手会を退会していたと報じた。
プロ野球選手会の森忠仁事務局長は「うちが佐々木の移籍に反対するわけないのにね」と心外な顔をしたという。

わずか3年でのMLB移籍要求

佐々木はNPBに入団した時点で、代理人がついていた。この代理人を通じて、すでにドジャースなどMLB球団も動き出していた。わずか3年でのMLBへの移籍の要求の背景には、この「代理人」の存在があったという。

23年当時、筆者は何人かの関係者から話を聞いたが、彼らは「佐々木は、来年オフには絶対にMLBに行くはずだ。件の代理人はドジャースのオーナー会社であるグッゲンハイムグループともつながりがあるので、行くのはドジャースだ」と話していた。

結局、佐々木は翌2024年の春季キャンプ直前に契約を更改した。この年の佐々木は前年までとは異なり、球速を抑えるなど「安全運転」が目立った。なんとしても実績を上げてオフの移籍につなげたいという意図が見て取れた。しかしそれでもコンディション不良で戦線離脱となった。

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