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キーマンが語る「KADOKAWA×フロム買収」の内幕 テクモ・ナムコ・セガ…元興銀マンが見た“ゲーム草創期”の創業者たち

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安田善巳(やすだ・よしみ)/1958年生まれ。1981年京都大学経済学部卒業後、日本興業銀行入行。2004年テクモ常務取締役兼プロデューサー、2005年テクモ代表取締役社長を経て2009年に角川ゲームス設立し代表取締役社長兼ゲームデザイナーに就任、2014年にフロム・ソフトウェア代表取締役会長を兼任。2022年にドラガミゲームス設立し代表取締役社長、2025年6月に退任(撮影:梅谷秀司)

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2004年に日本興業銀行からゲーム業界へキャリアを転じ、テクモ、角川ゲームス、フロム・ソフトウェア、ドラガミゲームスの4社で代表取締役兼ゲームクリエーターを務めてきた安田善巳氏。プロデュースしたゲームの累計販売本数は1000万本に上る。
市場環境も大きく変化したこの20年における自身のキャリアをどう振り返るのか。インタビュー中編となる本記事では、ゲーム業界に転身した経緯や、KADOKAWAによるフロム・ソフトウェア買収の舞台裏などを聞いた。
(※インタビュー前編はこちら:「“ガラパゴス”と揶揄され…劣勢続いた『国産ゲーム』の復活劇 興銀からゲーム会社社長に転身した異色クリエーターが振り返る“激動の20年”」

興銀からテクモに転職した理由

――興銀マンを辞めて、2004年にテクモに入社しました。何がきっかけだったのでしょうか?

もともと私はゲーマーで、入行後も「ゲームのことなら安田」というポジションを築いていました。1988年当時、私が興銀の産業調査部に所属していた頃のことです。経済産業省の産業政策局から「ゲーム産業のような将来有望なベンチャービジネスに、お金を集める仕組みを作るための調査レポートを作ってほしい」という依頼がありました。

当時、世界最大のベンチャーキャピタルだった3i Groupと一緒に調査レポートを作成した際に、ナムコ創業者の中村雅哉さんやセガ創業者の中山隼雄さんをはじめ、ゲーム会社の経営者の方々に話を聞かせてもらいました。みなさん個性的かつ魅力的で、会って話を聞くときは必ず個別でしたね(笑)。

その時にテクモ創業者の柿原彬人会長にもお会いしました。それ以来の関係です。

――16年以上の付き合いを経て、テクモに引き抜かれた、と。

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