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2000年代に都心に積極的に出店。魅力的だった三越池袋店は、銀行の反対を押し切り購入に踏み切った

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21世紀の証言 ヤマダホールディングス
山田 昇(やまだ・のぼる)/ヤマダホールディングス 会長兼CEO。1943年宮崎市生まれ。73年に群馬県前橋市で松下電器産業(当時)の系列店「ヤマダ電化サービス」を創業。83年にヤマダ電機を設立し家電量販店としてチェーン展開を開始する。2025年から現職 (撮影:尾形文繫)
PCブームやM&Aで急成長。家電量販最大手ヤマダホールディングスの会長兼CEO・山田昇氏の証言を3回に分けてお届けする。

群馬県前橋市で地域の電器店として創業したが、時代の波に乗って一代で家電量販店として急成長した。競合他社と差をつけたきっかけは、1990年代、日本中を席巻したパソコン(PC)ブームだった。

21世紀に入ってから25年ほど経過した。この四半世紀を振り返り、その間の主な出来事や経済社会現象について、当事者たちの声を掘り起こしていく

95年、米マイクロソフトの「ウィンドウズ95」が発売され、国を挙げてIT化が進んだ時代だった。強みの法人向け営業のほか、売り場でもサービスカウンターやPC教室などをすべて自前で展開して、郊外の店舗網へと広めた。これが急成長の原動力となった。

2000年以降は、大型商業施設の出店規制が緩和され、郊外にも積極的に出店した。だが売上高1兆円を超えられない。そこで決めたのがディスカウントストアのダイクマの買収。神奈川県は魅力的な商圏ながら、進出しにくい地域でもあった。首尾よく買収が決まり、これで売上高1兆円を突破できると確信した。

三越池袋店だった土地・建物を購入

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