〈激動20年〉挫折した「国産ゲーム」は復活なるか 4つのゲーム会社代表を務めた“興銀出身クリエーター”が語る日本メーカーの生存戦略

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安田善巳(やすだ・よしみ)/1958年生まれ。1981年京都大学経済学部卒業後、日本興業銀行入行。2004年テクモ常務取締役兼プロデューサー、2005年テクモ代表取締役社長を経て2009年に角川ゲームス設立し代表取締役社長兼ゲームデザイナーに就任、2014年にフロム・ソフトウェア代表取締役会長を兼任。2022年にドラガミゲームス設立し代表取締役社長、2025年6月に退任(撮影:梅谷秀司)
世界には30億人のゲーマーがいる。2024年のゲーム市場規模は2981億ドル(約42兆円、Grand View Research調べ)に達し、2030年にかけて右肩上がりの成長が見込まれている。
かつて世界のゲーム市場で半分のシェアを握っていた日本のゲームは2000年以降、急速に存在感を失い、「ガラパゴス」と揶揄されてきた。が、ここにきて復活の兆しを見せている。
ドラガミゲームスの設立者で、6月末に社長を退任した安田善巳氏は、日本興業銀行からゲーム会社社長に転身した異色のキャリアの持ち主。ゲームクリエーターとして、これまでかかわってきた作品は累計1000万本を売り上げている。20年間の激動のゲーム史と、日本ゲーム復活の秘訣を聞いた。

技術力で海外ゲームと決定的な差

――この20年間で世界のゲーム市場は急拡大しました。何が起きたのでしょうか?

2000年代前半に、3DCG(3Dコンピュータグラフィックス)ゲームの普及が一気に進みました。北米市場では、写実的なガンシューティングゲームであるFPS(一人称視点シューティング)やTPS(三人称視点シューティング)が席巻しました。

これらのゲームがPCや家庭用ゲームだけでなく、モバイルゲームにも移植されたことで、世界的なブームを巻き起こしたのです。

一方、ゲーム内の世界をプレイヤーが自由に探索できるオープンワールドゲームも、1000万本を超える大ヒット作品を数多く生み出してきました。その中で、かつて世界市場の50%を占めていた日本のゲームの存在感は薄れ、暗雲が立ち込めるようになります。

━━日本のゲームは「ガラパゴス」などと揶揄されました。

ガラパゴスという言葉には、日本のゲーム開発者がロールプレイングゲーム(RPG)や(ステージを順番にクリアしていく)アクションゲームといった、昔から作ってきたゲームジャンルにこだわり続けていること、そして3DCGの技術力で決定的な差があり、日本のゲームはもう海外のゲームには勝てない、という意味合いが含まれていたと思います。

当時は「PlayStation2(PS2)」後期から「PlayStation3」前期の時代でしたが、PCや「Xbox」で開発されていた海外のゲームメーカーから、前述したFPSやオープンワールドゲームといった魅力的な作品が次々と登場して注目を集め始めました。

そしてPS2前期に全盛期を迎えた日本のRPGに対し、海外のユーザーから不満や改善要望が上がるようになります。多くの市場関係者が、ゲーム市場はこのままシューティングゲームやオープンワールドゲームが主流となり、日本が得意とするRPGやアクションゲームは片隅に追いやられるだろうと感じていたと思います。

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