〈激動20年〉挫折した「国産ゲーム」は復活なるか 4つのゲーム会社代表を務めた“興銀出身クリエーター”が語る日本メーカーの生存戦略

技術力で海外ゲームと決定的な差
――この20年間で世界のゲーム市場は急拡大しました。何が起きたのでしょうか?
2000年代前半に、3DCG(3Dコンピュータグラフィックス)ゲームの普及が一気に進みました。北米市場では、写実的なガンシューティングゲームであるFPS(一人称視点シューティング)やTPS(三人称視点シューティング)が席巻しました。
これらのゲームがPCや家庭用ゲームだけでなく、モバイルゲームにも移植されたことで、世界的なブームを巻き起こしたのです。
一方、ゲーム内の世界をプレイヤーが自由に探索できるオープンワールドゲームも、1000万本を超える大ヒット作品を数多く生み出してきました。その中で、かつて世界市場の50%を占めていた日本のゲームの存在感は薄れ、暗雲が立ち込めるようになります。
━━日本のゲームは「ガラパゴス」などと揶揄されました。
ガラパゴスという言葉には、日本のゲーム開発者がロールプレイングゲーム(RPG)や(ステージを順番にクリアしていく)アクションゲームといった、昔から作ってきたゲームジャンルにこだわり続けていること、そして3DCGの技術力で決定的な差があり、日本のゲームはもう海外のゲームには勝てない、という意味合いが含まれていたと思います。
当時は「PlayStation2(PS2)」後期から「PlayStation3」前期の時代でしたが、PCや「Xbox」で開発されていた海外のゲームメーカーから、前述したFPSやオープンワールドゲームといった魅力的な作品が次々と登場して注目を集め始めました。
そしてPS2前期に全盛期を迎えた日本のRPGに対し、海外のユーザーから不満や改善要望が上がるようになります。多くの市場関係者が、ゲーム市場はこのままシューティングゲームやオープンワールドゲームが主流となり、日本が得意とするRPGやアクションゲームは片隅に追いやられるだろうと感じていたと思います。
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