元銀行員“異端”の僧侶が語る、700年前の仏教書『歎異抄』に現代人が救われる理由。《誰もが自分の中に「善」も「悪」も抱えている》

元銀行員の異端の僧侶
私は、現在、浄土真宗の僧侶をしておりますが、お寺の家に生まれたわけでもなく、大学卒業後は、銀行員を21年、コンサルタントを15年、ビジネスパーソンとして働いてきました。したがって、少々「異端の僧侶」でもあります。
ビジネスパーソンとして働いていた私がなぜ、浄土真宗の僧侶となったのか。私が僧侶を志した理由は、銀行員時代に「業績目標を達成することが、本当に社会のためになっているのか?」「銀行での業務は、本当に人のため、社会への貢献になっているのだろうか」という疑問やうしろめたさが胸にあったからです。
私が銀行員となったのは1979年、日本の景気はよく、「日本こそナンバーワン」という時代でもありました。私自身もさまざまな仕事をさせてもらい、80年代後半〜90年代前半には、ロンドン支店に駐在、ケンブリッジ大学大学院にも留学させてもらいました。
しかし、91年にバブル経済がはじけると、一気に日本の景気は悪化します。
企業の倒産や銀行の合併が続いたのもこの後、90年代でした。そのときに、銀行業界に身を置いていた私は、不良資産の処理を担当したこともあります。人間の良い面も悪い面もどちらも見聞きしました。
良いときは「善人」でいられる人でも、どん底の場面では、やむを得ず「悪人」になってしまう人もいるものです。
また、志高く人のために尽くそうと思っても、つい「会社のため」であったり、「食べていくため」であったり、「世間の波に負けて」であったりと、思うようにできないときもあるのが人間というものだとも実感しました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら