元銀行員“異端”の僧侶が語る、700年前の仏教書『歎異抄』に現代人が救われる理由。《誰もが自分の中に「善」も「悪」も抱えている》

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ビジネスパーソン
700年以上も前に書かれた仏教書は、なぜ長年、読み継がれてきたのでしょうか?(写真:shimi / PIXTA)
「人に頼るのが苦手」「完璧を求めすぎて疲れる」「先が見えなくてなんとなく心配」ーー。混沌とする社会に日々もまれながら、精神的な疲れや不安を抱えているビジネスパーソンは多いものです。
そのような人に元銀行員という異端の僧侶・安永雄彦さんが、700年以上も読み継がれている鎌倉時代に書かれた仏教書「歎異抄」から、現代を生きる私たちの心にも響く親鸞の教えを伝えます。
「歎異抄」は単なる宗教書ではなく「人間の生き方とは何か」「信じるとはどういうことか」という根源的な問いを投げかける人生哲学の書としても読むことができる名著。
西田幾多郎や、司馬遼太郎、遠藤周作、吉本隆明などといった日本の名だたる思想家・文学者も愛読しており、司馬遼太郎は、無人島に持って行く1冊として『歎異抄』を挙げたほどでした。
そこで安永氏が編訳した『超訳 歎異抄』より一部を抜粋し、現代のビジネスパーソンに向けた解説を2回にわたってお届けします。本記事は1回目です。

元銀行員の異端の僧侶

私は、現在、浄土真宗の僧侶をしておりますが、お寺の家に生まれたわけでもなく、大学卒業後は、銀行員を21年、コンサルタントを15年、ビジネスパーソンとして働いてきました。したがって、少々「異端の僧侶」でもあります。

ビジネスパーソンとして働いていた私がなぜ、浄土真宗の僧侶となったのか。私が僧侶を志した理由は、銀行員時代に「業績目標を達成することが、本当に社会のためになっているのか?」「銀行での業務は、本当に人のため、社会への貢献になっているのだろうか」という疑問やうしろめたさが胸にあったからです。

私が銀行員となったのは1979年、日本の景気はよく、「日本こそナンバーワン」という時代でもありました。私自身もさまざまな仕事をさせてもらい、80年代後半〜90年代前半には、ロンドン支店に駐在、ケンブリッジ大学大学院にも留学させてもらいました。

しかし、91年にバブル経済がはじけると、一気に日本の景気は悪化します。

企業の倒産や銀行の合併が続いたのもこの後、90年代でした。そのときに、銀行業界に身を置いていた私は、不良資産の処理を担当したこともあります。人間の良い面も悪い面もどちらも見聞きしました。

良いときは「善人」でいられる人でも、どん底の場面では、やむを得ず「悪人」になってしまう人もいるものです。

また、志高く人のために尽くそうと思っても、つい「会社のため」であったり、「食べていくため」であったり、「世間の波に負けて」であったりと、思うようにできないときもあるのが人間というものだとも実感しました。

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