すべてをコントロールしようとし、最適化や効率化を求める現代人は、なぜ不安や絶望感に苦しんでいるのか

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ノートパソコンのキーボードを叩く手とそこから立ち上がる上向きの矢印
現代人は何から何までコントロールしようとし、効率や生産性を追求してばかりいますが、このことは私たちを不幸にしているようです(写真:tadamichi/PIXTA)
あなたの人生は偶然がすべて。この世界は成り行きの産物であり、ありとあらゆる物事を、偶然が支配している。成功や失敗も、進化も歴史も、小さな偶然の積み重ねに左右されている。なのに、なぜ私たちはそこに理由や目的、秩序があると信じてしまうのか? このような世界を生きることに、どんな意味があるのだろうか?
私たちは何もコントロールしていないが、あらゆることに影響を与えていることに気づかされ、静かな感動を呼ぶ書、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか:すべてが影響し合う複雑なこの世界を生きることの意味』より、一部抜粋・編集のうえ、お届けする。

 

不安を感じがちな現代人

「偶然」はどのようにあなたをつくるのか: すべてが影響し合う複雑なこの世界を生きることの意味
『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

私たちが現代に不安を覚えるのは、制御不可能な世界を制御しようという思いが頭から離れないからかもしれない。

そのような執着は、欠陥のある世界観に由来し、私たちはその世界観のせいで、確実性の追求という達成しえない試みから抜け出せなくなっている。そのような追求は必ず、失望という結果に終わる。

私たちの現在の生き方は、世界の理解の仕方ともつれ合っている。私たちは世界を誤解し、相互関連した世界では避けられない巡り合わせをたんなる珍奇な現象や偶然の一致と考えてしまい、人知を超えた壮麗さを見せる優雅で複雑な庭園の緑の芽吹きとは見なさない。

世界はフラクタルやフィボナッチ螺旋(らせん)が豊かにみなぎり、息を呑むほど素晴らしいのに、経済や政治の現実モデルは、その世界を味気ない方程式へと矮小化(わいしょうか)してしまう。 

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