「平気で人を害する人」が感じている相手との距離 4つの「心理的距離」が他人への見方を変える

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かがんでいる人に対して振り上げられた拳
よく知らない人といった心理的距離が遠い相手ならば、人は気安くその人を害したり、虐待したりできます(画像:Luce/PIXTA)
横暴に振る舞う上司、不正を繰り返す政治家、市民を抑圧する独裁者。この世界は腐敗した権力者で溢れている。
では、なぜ権力は腐敗するのだろうか。それは、悪人が権力に引き寄せられるからなのか。権力をもつと人は堕落してしまうのだろうか。あるいは、私たちは悪人に権力を与えがちなのだろうか。
今回、進化論や人類学、心理学など、さまざまな角度から権力の本質に迫る『なぜ悪人が上に立つのか:人間社会の不都合な権力構造』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

私たちの社会生活はタマネギのようなもの

なぜ悪人が上に立つのか: 人間社会の不都合な権力構造
『なぜ悪人が上に立つのか: 人間社会の不都合な権力構造』(東洋経済新報社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

人間関係は、「心理的距離」と呼ばれる概念によって仲介されている。私たちの社会生活は、いわばタマネギのようなものだ。

中心には、配偶者や子ども、親、兄弟姉妹といった、直近の家族がいる。そのすぐ外側の層にはその他の親族がいて、次が友人たちだろうか。そして、その外に職場の人々などが続く。

こうした層にいる人のすべて(いや、職場の人の場合には、それぞれ人にもよる)が、その身に何かあったとき、タマネギと同じであなたを泣かせることができる。

だが、次々に層を重ねていくうちに、ついには皮に行き着く。捨ててしまえる部分だ。その層の人を失っても、何とも思わない。

その外側は、もうタマネギの一部ですらない。その層の人は、あなたの頭に浮かびさえしない。

当然ながら、私たちのタマネギはそれぞれ違う。多感な人は、タマネギが大きいかもしれない。すぐに皮にたどり着き、ごく親密な個人的関係への関心でしか動かされない人もいる。

だが、特定の層が私たちにとって大切かどうかは、決まっているわけではない。時が過ぎるうちに変わることもある。

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