「平気で人を害する人」が感じている相手との距離 4つの「心理的距離」が他人への見方を変える

✎ 1〜 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 16 ✎ 17
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

道徳哲学者のピーター・シンガーが書いているように、人間と人間性の物語は、「拡大する輪」だ。赤ん坊のとき、私たちの道徳的宇宙は小さく、親だけに限られる。あるいはことによると、嫉妬している兄や姉がそこに加わる。だが、私たちは成長するにつれ、大切に思う人がどんどん増えていく。

私たちの種の歴史も、拡大する道徳的な輪を特徴としてきた、とシンガーは主張する。かつて人間は、自分のすぐ周りの人々のことしか気にしなかった。今や私たちは、会ったこともなければ知ることもないだろう人々が地球の反対側で津波やテロ攻撃に見舞われたというニュースを聞いて、強く心を動かされうる。

では、人は意図的に自分の道徳的な輪を拡げられるだろうか? 道徳のタマネギを育てることができるだろうか?

私たちが誰かを心の中でどう考えたり思い描いたりするか次第で、その人あるいは人々に対する見方がガラッと変わることがありうる。

一例を挙げよう。アメリカ人はイラン人を敵と思うことが多い。だが、アメリカのキリスト教徒は、迫害されているイランのキリスト教徒に連帯感を抱くかもしれない。

ハリウッド映画に見られる心理的距離の感覚

ハリウッドの映画監督は、私たちの心理的距離の感覚を操作して見方を変えさせる力を、昔から理解していた。登場人物が画面上で亡くなると、私たちは、その人についてほとんどわかっていないときには、あまり反応しないことになっている。誰だかわからない人には、私たちは心を動かされないのだ。

戦争の場面で薙(な)ぎ倒される、誰とも知れない人々は、たいていの人にはごく限られた影響しか与えない。彼らにもきっと家族がいて、夢があったのだろうことは、暗黙のうちに承知してはいても、だ。

私たちは、知らない人のことは眼中にない。だが、主人公――私たちが理解していると思っている登場人物、声援を送っていたり、自分を重ね合わせていたりする登場人物――が亡くなると、映画では涙を誘う場面となる。

その効果はあまりに強力なので、たとえば子鹿のバンビの母親が死ぬと、アクション映画で、名もない登場人物のほぼすべてが画面上で亡くなったときよりも、私たちは胸が痛む。

具体性は重要だ。人は、「コンピューターオタク」全般については、毎週月曜日にオフィスに手作りのパンを持ってくるIT業界出身のバイオリニストのヴァネッサについてとは、違う見方をしているかもしれない。

次ページ人を「抽象概念」にとどめることの危険
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事