赤ん坊を殺すか全員が死ぬかという究極の選択
大学で哲学の入門講座を取った人なら誰もが、次のような筋書きについて考えたことがあるはずだ。
あなたの村の人が全員、過激派ゲリラから身を隠している。ゲリラたちは、大人も子どもも見つけ次第殺害するためにやって来た。あなたは見つからずに済み、誰もが生き延びられそうだという、かすかな希望の光が差してきた、まさにその瞬間、1人の赤ん坊が泣きだす。
人々は必死で落ち着かせようとするが、何をやってもうまくいかない。もしその赤ん坊が泣きやまなければ、村人は皆殺しにされる。あなたは他の人々全員を救うために、赤ん坊を窒息させるだろうか?
この苦渋の選択も、合理性と私たちの最も根深い道徳的本能とを競わせる。もし赤ん坊を窒息させなくても、その子はやはり死ぬだろう――たんに、あなたではなくゲリラの手にかかって。
もしあなたが赤ん坊を殺せば、他の全員が生き延びるが、あなたが自らの選択でその赤ん坊の生命に終止符を打ったことになる。
この耐え難い筋書きによって、私たちは痛烈に両断される。赤ん坊を窒息させるという人もいる一方、そのような邪悪な行為は思い描くことすらできない人もいるだろう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら