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私は2月10日と11日にパリで開催された「AIアクションサミット」に参加した。
そこで交わされたさまざまな議論では、AIを社会にとって有益な方向に導いていくことの必要性が強調された。シリコンバレーから、そして今ではアメリカ政府から、AIの展開を加速させるよう求める声が大きくなる中、このテクノロジーに何を求めるかに焦点を絞った議論の場で、私は新鮮な空気を吸うような感覚を持った。
当日のスピーチでも触れたのだが、私たちはまず、人間社会において価値があるものは何か、そして敷衍(ふえん)するに値するものは何かを問うことから始めるべきだろう。
人間を特別な存在にしているもの
私たち人類を特別な存在にしているもの、あるいは少なくとも私たちに進化論的な成功をもたらしているものは、大小の問題に対する解決策を考案し、新しいことに挑戦し、そのような努力に意味を見出す能力だ。人類には、知識を創造するだけでなく、それを共有する力もある。これまで人々がたどって来た道のりは必ずしも平たんではなく、私たちの能力、道具、知識は時に深刻な害を及ぼすことがあるが、絶え間のない探求と膨大な情報の共有は、今でも不可欠だ。
20万年以上にわたり、テクノロジーこそがこの物語の中心にある。石器時代から現在まで、私たちは課題に対する解決策をテクノロジーによって確立してきた。口頭での伝承、筆記の発明を経て、印刷機やインターネットに至るまで、知識を共有する新たな方法を開発し、改良を加えてきた。この200年間に、質と自由度を高めた実験方法を考案し、これについての知識も広く共有してきた。科学的なプロセスにより事実が確立された場合には、それぞれの世代が前の世代の進歩に基づいて、そこから続きの確立作業を進めることができた。
これこそが過去2世紀にわたり、多くの国の目覚ましい成長を支えてきたといえる。経済発展が国家間および国内で大きな不平等を生み出した一方で、今日ほとんどの地域で、人類は18世紀よりも健康で豊かになっている事実を見逃してはならない。AIは、人間の技術、才能、知識を補完し、意思決定、実験、有用な知識の利用を改善することで、この流れをさらに後押しできるかもしれないのだ。
この目的のためにAIが必要かどうか疑問に思う人もいるだろう。
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