あるいは、「移民」については、自分が勤める会社のフットボールチームに所属している移民第1世代のホセについてとは、違う見方をしているかもしれない(じつは、移民に強く反対している場所ほど移民が少ないことを、一貫して証拠が示している)。
私たちは、ある人に出会う回数が増えるほど、その人はただのカテゴリーではなくなっていく。人々の性格と内面生活の層を、外側から剝がしていくにつれて、彼らは私たちの社会的・心理的タマネギの核心に近づく。そして、その逆も正しい。
誰かが抽象概念にとどまっていたら、平気でその人を気にしないでいられる。それがわかれば、善い目的でも悪い目的でも使える青写真が手に入る。
「心理的距離」の4つの尺度
ニューヨーク大学の心理学者ヤコブ・トロープによると、心理的距離には4つの尺度があって、私たちが下す決定が、自分が大切にしているタマネギの内側に入っているかどうかを決めているという。
第1の尺度は、社会的距離だ(いや、あの恐ろしいパンデミックのときの「ソーシャル・ディスタンス」ではない)。
社会的距離は、人が、自分の行動によって影響を受けることになる相手にどれだけ自分を重ね合わせられるかを表す。娘のいちばんの親友の父親である隣人をクビにするのは、一度も会ったことのない人をクビにするのよりも難しい。
第2の尺度は、時間的距離だ。決定を下す瞬間から、その決定の結果がもたらされるまで、どれだけ時間差があるか? 化学薬品企業のCEOは、有毒物質がゆっくりと地下水に浸み込むのを許すほうが、レストランで誰かのグラスの水に毒を入れるよりも気安く思えるだろう。
第3は、空間的距離だ。物理的に遠く離れた所にいる人のほうが、自分と同じ部屋にいる人よりも気安く害することができる。
そして最後の第4の尺度が、経験的距離だ。ただ頭で考えるだけで済むときのほうが、腹の底から感じたり、経験したり、目の当たりにしたりしなければならないときよりも、気安く他者を害したり、虐待したりできる。
(翻訳:柴田裕之)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら