自由奔放な織田信長が認めた「一度も失態を犯さなかった男」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」個性溢れる戦国武将を支えた右腕の存在

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安土桃山上の再現
(写真:tachi49 / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、いったいどんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第1回は、名立たる戦国大名を支えた右腕の存在について真山知幸氏が解説する。
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もし戦国大名が現代の会社の社長だったら?

戦国大名たちがもし企業の社長ならば、どんなタイプの経営者だっただろうか――。そんなテーマで原稿を書いて『企業として見た戦国大名』という本にまとめたことがある。

素行の悪さから尾張の「大うつけ(大バカ者)」と呼ばれた織田信長は1552(天文21)年に18歳で家督を継ぐと、周囲の懸念とは裏腹に、すぐさま頭角を現す。わずか1年で、尾張下半国の拠点である清洲城のほか、那古野城、守山城を手に入れる。

1560(永禄3)年には、桶狭間の戦いで大軍の今川義元を撃破。その決断力と行動力は、並み居る戦国武将たちをも圧倒することになる。日の出の勢いを得た信長が率いる織田家は、現代の会社組織でたとえれば、時勢を味方につけて急成長したベンチャー企業そのものだ。

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