「包囲された城には糞尿が溜まり…」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目"岩倉城攻め"で見せた信長の意外な慎重さ

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清州城
(写真:civi / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、いったいどんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第3回は織田信長の「岩倉城攻め」について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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大胆なようで慎重だった織田信長

歴史人物の際立った個性をその食事から読み解く――。そんな意図でかつて『偉人メシ伝』という本を書いたことがある。

科学者、作家、画家、政治家、映画監督……と様々な職業において功績を残した人物の食事を読み解くもので、戦国武将の「合戦メシ」についても取り上げた。

合戦の前には山海の珍味を家臣たちにご馳走した気遣い男・上杉謙信、朝夕の献立を熟考して自ら調理も行ったクッキング伊達政宗、健康のために梅干しを食べ続けたストイック北条早雲……など、それぞれの特徴があるなか、織田信長の合戦メシはいかにも彼らしいものだった。

信長は永禄3(1560)年の「桶狭間の戦い」で今川軍を撃破したことで知られている。有名な「背後から奇襲攻撃を仕掛けた」という通説に対して、近年では「最短コースで正面から奇襲を仕掛けた」ともいわれている。

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