将軍家に次いで権勢を誇るほど強大だった「今川家」
織田信長は青年期こそ「うつけ者」と悪評を立てられながらも、いざ家督を継げば、破竹の勢いで戦国の世を駆け抜けた。現代の会社にたとえるならば、急成長したベンチャー企業そのもの(過去記事「自由奔放な織田信長が認めた「一度も失態を犯さなかった男」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」個性溢れる戦国武将を支えた右腕の存在」参照)。
ビジネスの世界でも、勢いのあるベンチャー企業の創業者は、風雲児としてもてはやされる。信長は個性ある戦国武将のなかでも、その人気ぶりは別格といっていい。
だが、光があたるところには、必ず影がある。信長が脚光を浴びるなかで、影となったのが、今川義元である。
信長の名を一躍有名にした「桶狭間の戦い」。信長は、わずか3000の兵で、2万5000もの兵力を誇る今川軍を破ったとされている。実際にどれだけの兵力の差があったのかは諸説あるが、大番狂わせによって、信長への評価が高まるとともに、今川家の評価は地に落ちたといっていい。桶狭間の戦いでの敗北をきっかけに、今川家は転げ落ちるように没落していく。


















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