いきなり斬りつけられた田沼意知
天明4(1784)年3月24日、田沼意次の息子・意知が、江戸城内で旗本の佐野政言(さの・まさこと)からいきなり斬りつけられた。
事件が起きたのは、意知が政務を終えて午後1時頃に江戸城から退出しようと、同じ若年寄の掛川藩主・太田資愛(おおた・すけよし)と出羽松山藩主・酒井忠休(さかい・ただよし)と一緒に、新番の詰所の前を通りかかったときのことだ。
詰所にいた5人の番士のうちの1人である佐野政言が、突如として刀を抜いて走り出した。そして桔梗の間の近くにいた田沼意知に近づき、肩から袈裟懸けに刀を振り下ろしたのである。意知は防ぐことも、避けることもできず、肩先に長さ3寸、深さ7分ほどの一太刀を受けた。
後ずさりしながら桔梗の間へと逃げた意知だったが、追いかけてきた政言によって、両股に深手を負わされると、うつぶせに倒れたという。その後、大目付の松平対馬守が政言を羽交い絞めにすると、柳生主膳正は政言の刀を奪って、取り押さえている。


















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