怨恨の理由はどれも殺害に至るようなものではないように思うが、田沼家がもともと「佐野」という名字だったことから、「田沼家はかつて佐野家の家来筋の家だった」という思いを政言は持っていたようだ。
もしそうであれば、立場が逆転して佐野家は微禄となっている現状を受けて、我が世の春を迎える田沼親子との落差から、些細なことが引き金となってもおかしくはない。
赤穂事件を題材とした『忠臣蔵』に影響を受けた?
政言が凶行に及ぶ数年前から、赤穂事件を題材とした『仮名手本忠臣蔵』が盛んに上演されている。
主君のために吉良上野介に仇討ちをした赤穂藩浪人のストーリーに、心を動かされた観客が多かったようだ。政言もまた、その1人ではなかったか。
世間で悪名高い意知を、殿中で刃傷すれば英雄になれるかもしれない。個人的ないざこざを発端に、そんなイメージを日々膨らませているうちに、あるタイミングで実行してしまった。そんな可能性も考えられそうだ。
政言が意知を亡き者にしたことで、田沼時代は終焉へと向かっていくことになった。
【参考文献】
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
辻善之助『田沼時代』(岩波文庫)
松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(講談社学術文庫)
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
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