
兵庫県赤穂市(写真:LEOSHOU / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第29回は、田沼意次の息子・意知への殺傷事件と赤穂事件の共通点について解説する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。
佐野政言は歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』に影響された?
選挙の開票日にNHK大河ドラマが休止になるのは致し方がないにしても、前回放送の「べらぼう」はラストが壮絶だっただけに、SNSなどで「ここから2週間待つとは!」と嘆きの声が寄せられることになった。
そのラストとは、佐野政言による田沼意知の暗殺である。天明4(1784)年3月24日に、江戸城内で旗本の佐野政言が田沼意次の息子・意知を斬りつけた。意知は応急処置を経て、屋敷に戻ったが、そのまま数え年36歳という若さで、この世を去ることになった。
実際に記述が残っているとおりに、詰所にいた5人の番士のうちの1人である政言が、桔梗の間の近くにいた意知に近づいて、肩から袈裟懸けに刀を振り下ろしたところで、前回の放送は終わった。ドラマでは政言が微笑みを見せており、なお狂気を感じさせる描写となっていた。
前回の記事で書いたとおり、意知が斬られた頃には、赤穂事件を題材とした歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』が盛んに上演されていた。
トピックボードAD
有料会員限定記事
ライフの人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら