自由奔放に見えるが苦労もあった平賀源内
蔦屋重三郎がいかに出版人として活躍したかは、彼の名が残された出版物の数々から想像することができる。
「蔦屋重三郎」と最も早く記されているのは、安永3(1774)年7月に刊行された『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』だ。その『細見嗚呼御江戸』には、平賀源内が「福内鬼外(ふくうちきがい)」の名で序文を寄せている。
ならば、2人には何かしらの交流があったのではないか……という着想から、大河ドラマ「べらぼう」では源内にもスポットライトがあてられることになった。
多岐にわたるジャンルで名を残した平賀源内は「飄々とした神出鬼没の自由人」というイメージが強い。だが、今でいうところの「フリーランス」になるにあたっては紆余曲折があった。
現代社会では「会社に辞意を切り出しにくい」という理由から「退職代行サービス」の利用者が増えているが、実は源内もまた、「辞めにくい職場」には苦慮していた。


















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