べらぼうで脚光「平賀源内」才能溢れる彼の失敗 今風にいう「フリーランス」としても活躍した

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大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 平賀源内
平賀源内は高松藩に仕えたが…。写真は高松城(写真: kazukiatuko / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」で主役となった、蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)。重三郎は20代前半で吉原大門前に書店を開業し、書籍の販売と出版をスタート。浮世絵師を巧みにプロデュースし、「江戸のメディア王」として名を馳せた。一体、どんな人物だったのか。また、重三郎が活躍したのがどのような時代で、どんな歴史人物と接点があったのかも気になるところだ。江戸時代中期に花開いた町民文化や、時の将軍の徳川家治やその側近らの人間関係とともに、この連載で解説を行っていきたい。連載第5回は、大河ドラマ「べらぼう」でも脚光あびる平賀源内について解説する。
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自由奔放に見えるが苦労もあった平賀源内

蔦屋重三郎がいかに出版人として活躍したかは、彼の名が残された出版物の数々から想像することができる。

「蔦屋重三郎」と最も早く記されているのは、安永3(1774)年7月に刊行された『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』だ。その『細見嗚呼御江戸』には、平賀源内が「福内鬼外(ふくうちきがい)」の名で序文を寄せている。

ならば、2人には何かしらの交流があったのではないか……という着想から、大河ドラマ「べらぼう」では源内にもスポットライトがあてられることになった。

多岐にわたるジャンルで名を残した平賀源内は「飄々とした神出鬼没の自由人」というイメージが強い。だが、今でいうところの「フリーランス」になるにあたっては紆余曲折があった。

現代社会では「会社に辞意を切り出しにくい」という理由から「退職代行サービス」の利用者が増えているが、実は源内もまた、「辞めにくい職場」には苦慮していた。

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