蔦屋重三郎も大打撃?「鱗形屋」を次々襲った悲劇 本がヒットし成功を収めた鱗形屋だったが…
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は鱗形屋を襲った悲劇について解説します。
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ヒット本を出し、順調だった鱗形屋だが…
江戸時代中期の戯作者・恋川春町(1744〜1789)の著作『金々先生栄花夢』を1775年に刊行し、ヒットさせた出版人・鱗形屋孫兵衛。しかし、成功もあれば失敗もあり、人生山あり谷ありということで、その同じ年、鱗形屋を悲劇が襲います。
その悲劇というのは、以下のようなものでした。
鱗形屋の手代に徳兵衛という者がいました。
手代とは、商家の使用人であり、丁稚と番頭の中間の身分です。商家の使用人は、丁稚から始まります。数年から、長ければ十数年で、丁稚から手代に昇進します。早い者では10代後半、遅ければ20代後半で、手代となりました。
手代になると、羽織の着用、酒を飲むこと、煙草を吸うことが許されます。給料も支給され、一人前の商家の店員として扱われることになるのです。手代から出世すると、店の運営・管理を行う番頭となります。
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