遊女を紹介「吉原の情報誌」巡る江戸の版元の変化 蔦屋重三郎も「吉原細見」の販売から事業開始
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は主人公の蔦屋重三郎が書店経営を始めた当時の時代背景を解説します。
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22歳で書店を開業する重三郎
吉原に生まれた蔦屋重三郎。重三郎の父は丸山重助、母は津与と言いましたが、重三郎が7歳のときに両親は離縁してしまいます。
その後、年少の重三郎は、商家の蔦屋(喜多川氏)の養子となります。蔦屋は吉原に所在したと思われますが、確かなことはわかりません。また、何の商売をしていたのか、茶屋(遊客を遊女屋に案内する)なのか、出版関係の商売だったのかも不明です。
しかし、何らかの商いをする家であったことは確かなので、少年・重三郎に大きな影響を与えたと推測されます。
10代の重三郎がどのような生活を送っていたのかを示す史料はありません。重三郎の活動が判明するのは、20代となってからです。安永2年(1773)、重三郎は22歳のときに、書店を開業します。
場所は、新吉原大門口。出版社である鱗形屋から毎年刊行される「吉原細見」の小売り(卸売商などから仕入れた品物を、消費者に売る)からスタートしたのです。
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