遊女を紹介「吉原の情報誌」巡る江戸の版元の変化 蔦屋重三郎も「吉原細見」の販売から事業開始
また、重三郎の養家が、鱗形屋と何らかの関係を持っていたということも推測されます。とにもかくにも、重三郎は鱗形屋の系列に入り、活動していくことになるのです。
「一目千本」を刊行した重三郎
1773年から「吉原細見」の販売を始めた重三郎ですが、翌年7月には、初めて、書籍を刊行します。遊女の評判記『一目千本』です。
この書物の口絵を描いたのは、浮世絵師の北尾重政(1739〜1820)です。
重政は、本屋・須原屋三郎兵衛の長男として生まれました。本来ならば、長男の重政が家業を継ぐべきなのでしょうが、彼はそれをせず、弟に譲っています。絵のほうに興味があったのでしょう。
独学で絵を学んだ重政は、役者絵などを描き「浮世絵界の権威者」「鈴木春信に次ぐ有力画家の一人」とまで現代で評価されています。
その「権威者」の北尾重政に絵を描いてもらえた裏には、鱗形屋の後援があったと想像されます。そして鱗形屋の後援を得られたということは、重三郎の仕事ぶりが認められていたということがあるのでしょう。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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