べらぼうで脚光「平賀源内」才能溢れる彼の失敗 今風にいう「フリーランス」としても活躍した

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しかし、源内がそのまま江戸にとどまることは許されなかった。その活躍ぶりを聞いた藩主の松平によって、高松藩に再度召し抱えられることになったのである。

とにかく辞めたい源内のストレートな辞職理由

有能な人物ほど、あちこちから声がかかり、ひっぱりダコ状態になってしまうのは、今も昔も同じ。源内からすればようやく羽ばたいたと思ったら、古巣に引き戻されてしまったのだから、たまったものではない。藩主から貝殻の採集などを命じられては、いたずらに時間が奪われる日々を過ごす。

大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 平賀源内
平賀家の菩提寺である自性院(写真: papa88 / PIXTA)

こうなったら、完全に自由になる道を選ぶしかない――。そう考えたのだろう。源内は、ついに藩に辞職願をしたためた。その理由はズバリ「我儘に一出精仕り度く」。つまりは、こういうことだ。

「わがままに自分のしたいことに専念するために脱藩したい」

何を言っているんだ、今やっている仕事はどうなる! 現代の会社でも、退職を告げるとそう言われて、慰留されたり、退職時期を理不尽に引き延ばされたりするもの。そこで源内は先回りして「只今迄仕掛け候御用等仰付けられ候へば、浪人にて随分御用達仕り度く存じ奉り候」と伝えている。次のような意味となる。

「これまでの御用でなお継続するものがあれば、浪人としてできるだけお役に立ちたい」

「浪人にて」と強調しているところが、ポイントだ。ここからはフリーランスとして仕事を受けますよ、ということである。

もはや包み隠すことはなにもない、とばかりにストレートに辞意を伝えた源内。正式に脱藩することになったが、その後に江戸藩邸で受け取ったものには、辞職理由として、次のように記されている。

「医業の師匠が年老いたため、この際に昼夜と打ち込んで習ってしまわないと医業が成就できない」

わがままを通されて他の者が真似したら困ると、何か理由をひねり出さなければならなくなったのかもしれない。医業の修行ということにしている。

源内からすれば、なんでもよいから辞めさせてくれ、といった心境だろう。退官にあたっては「他藩への仕官は禁止」という厳しい条件がつけられたが、源内の決心は揺るがなかった。

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