周辺には大型スーパーもあるが…駅徒歩20分の「東京の"不便な"商店街」に人が集まる理由

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砂町銀座
平日の昼間、砂町銀座の様子(筆者撮影)
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この連載では、一般的な「住みたい街ランキング」には登場しないけれど、住み心地は抜群と思われる街をターゲットに定め、実際に歩き、住む人の声と、各種データを集めてリポート。定番の「住みたい街」にはない「住むと、ちょっといい街」の魅力を掘り起こしていく。
住宅街型商店街の代表格である「砂町銀座商店街」。駅から離れているからこその魅力を見つけることができた。

日本の商店街には3つの型がある

街歩きの取材を始めて1年が過ぎた。これまでいろいろな街に行ってみて感じたことだが、各地の商店街には大きく3つの「型」があるようだ。

商店街の3つの「型」。1つ目は「駅直結型」の商店街。もう1つが東京浅草の「仲見世商店街」のような「観光地型」。そして、3つ目が、駅から少し離れた住宅街にある「住宅街型」の商店街だ。

それぞれに特徴がある。駅直結型は文字通り、駅に直結しているから電車から降りたらすぐに利用できる。観光地にある商店街は、その観光地の集客力によって規模が決まる。お寺の門前商店街は正月の書き入れ時以外は割と静かだったりする。そして住宅街型だ。今回歩いた「砂町銀座商店街」がこれに当たる。

戦後の復興期から高度経済成長を経て、東京には全国から多くの労働者が集まった。初の国勢調査が行われたのは1920年だ。当時の東京の人口は約370万人だった。そこからの20年間で約735万人に増加するのだが、第2次世界大戦のために、終戦の1945年には349万人まで減少した。

その後、戦後の復興や第1次ベビーブームによる出生数の増加により、1945年から1950年の間に東京の人口は628万人へと急増した。そして経済白書に「もはや戦後ではない」と記された1956年には約835万人となった。

戦後の復興期、焼け野原になった東京には、急増する人口を受け入れるため、狭い土地にひしめき合うように住宅が建てられた。だから住宅街には、お向かいの店舗に声が届くような狭い道幅の商店街が多く見られる。砂町銀座商店街もそんな風景だ。

次ページ「住宅街型商店街」だからこその魅力
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